スマホやゲームが子供たちの夢を奪う?
夢を持てない子供たち
「将来の夢は何ですか?」と聞いたときに、どれくらいの子供が自分の夢を語ってくれるのでしょうか。小学生から高校生を対象にしたある調査によると、将来なりたい職業があると答えた学生は6割程度だったといいます。しかも、この数字、2004年から2009年の間では全体で約1割程低下しているのです。(高校生においては約16%も減少しているのです。)
夢を持てなくなってしまった原因
ではなぜ、夢を持てない子供たちが増えてしまったのでしょうか。同調査において面白い調査がありました。先ほどの「将来なりたい職業があるか」という質問の結果と共に見ていきましょう。
・将来なりたい職業があるか?(「ある」と回答した割合)
【2004年】 小学生:約63% 中学生:約62% 高校生:約67%
【2009年】 小学生:約58% 中学生:約52% 高校生:約51%
【比較】 約5%減 約10%減 約16%減
・ゲームをする時間(「ほとんどしない」と答えた割合)
【2004年】 小学生:約36% 中学生:約55% 高校生:約81%
【2009年】 小学生:約26% 中学生:約35% 高校生:約58%
【比較】 約10%減 約20%減 約23%減
いかがでしょうか。綺麗にとは言えませんが、両者には相関関係がありそうですね。
ここで「ゲームをすると夢を持てない」と結論づけるのはやや乱暴ですが、今後分析するに値する結果だと言えます。
夢を持たない弊害
「夢なんか持ってなくても困らない」、「そのうち大人になってから夢を決めれば良い」というご意見もあるかと思いますが、果たして本当にそうでしょうか。夢を持たないということは、目標(ゴール)がないということと同義です。ゴールが見えない努力ほど頑張れないことはありません。また、何を頑張れば良いのかが分からないわけですから、当然、効率も悪くなってしまい、さらに努力することが嫌いになってしまうという悪循環に陥ってしまいます。
夢を持たせるには
皆さんは将来の夢をどのように決めましたか?覚えていない方もいらっしゃるかと思います。ただ一つ言えることは「知らない職業は夢にはならない」ということです。小学生の夢にはサッカー選手、芸能人、最近ではyoutuberなど、身近に知ることができる職業がほとんどです。小学生の将来なりたい職業ランキングで「商社マン」なんて出てこないですよね?つまり、周りの大人達とのコミュニケーションや実体験をとおして、リアルな世界を知り、夢の選択肢を広げてあげれば、自分の夢に出会う確率も増えていくわけです。
まとめ
スマートフォンやゲームの世界に入り浸るということは、それだけリアルの体験の機会が失われるということです。友達同士のコミュニケーションですら、リアルにできる機会が減ってしまいます。子供が勉強をしない、だらだらしている、と嘆いている保護者の方は、スマートフォンが子供たちに与える影響をもう一度考え、リアルの体験の機会を増やしてあげてはいかがでしょうか。
最高の教養
夏河を超すうれしさよ手に草履 ー与謝蕪村ー
【問】
この与謝蕪村の句で「夏河を越すうれしさ」はどこからきているのでしょうか。
これはとある小5の生徒の冬休みの宿題です。
良い問題だなぁと思いました。
これを単に答えが合っている、合ってないで評価してしまったらもったいないなと。
※もちろん正解はありますが。
まず生徒に聞いたのは
「この句を読んでみてどのような情景が思い浮かぶのか」
そして次に尋ねたのは
「それを解釈して自分の言葉で表現してみてほしい」
これって社会に出てからの教養という意味で凄く役に立つのではないかと思うのです。
社会に出れば、ロジックよりも感覚に重きを置いた受け答えをする機会が多々あるでしょう。
食事をしたとき、アートを鑑賞したとき、音楽を聴いたときなど。
そんなとき、自分の意見を相手に伝える比喩として、このような表現(己の感覚を、解釈を含め一般的に知られたものを使って表現する)が使えたならば、さぞコミュニケーションの幅が広がりそうですね。
例えば、おいしいワインを飲んだ後に、その表現をこのような句を用いて伝えるとか。素敵ですね。
少なくとも受験勉強をしているうちはロジックばかりでつまらないかもしれませんが、このような視点から勉強を楽しんでみるのもいいなと思いました。
勉強が将来何の役に立つのか
気付けば数ヶ月もブログを放置しておりました。
さて、最近ネット上でよく見る広告があるのですが、
考えつくされたカタチ「ルーロ―の三角形」とは | ロボット掃除機「ルーロ」 | 掃除機 | Panasonic
こういうのを学生に見せていきたいですね。
これが「勉強が将来何の役に立つの?」という問いの答えの一つであると思います。
つまり
「勉強が将来何の役に立つのかを考えるのは自分」であり、
「何に役立たせるかを考えることに意味がある」
ということだと思います。
さっそく数学の授業で生徒に言ってみよう。
夏休みの宿題の罠
こんばんは。
暑い日が続いていますね・・・
熱中症には十分注意したいと思います。
さてさて、生徒の皆様は夏休み真っ最中な訳ですが、夏休みで必ず話題になるのが、
「夏休みの宿題、いつまでに終わるの問題」
保護者の方もやきもきしながら、我が子の宿題を見守っているかと思います。
しかしこの夏休みの宿題、実はやり方次第で落とし穴になってしまうことも・・・?
今回は夏休みの宿題の罠について書こうと思います。
(夏休みの宿題にこの傾向が顕著に現れるだけで、普段の宿題にも当てはまります)
1.宿題(勉強)が作業化してしまう
実は最近授業をやっていて、よーく思うのですが、宿題や授業中の問題演習で、分からない問題に出会ったときに、すぐ諦めたり、空欄にしてしまう生徒が多い。
しかも、そういう生徒は不真面目というわけではなく、夏休みの(長期休みの)宿題は毎年7月中に終わらせてしまうというのです。
もちろん、宿題を早めに終わらせてしまうというのは素晴らしいことです。
しかし、そういう生徒の中には、宿題(勉強)が作業化している子がいます。
しかも、いつも早めに宿題を終わらせてしまう子に限って、毎回「早く宿題を終わらせないと・・・」というプレッシャーを感じてしまいます。
かくいう私は、学校の宿題は最後までやらないタイプでした。しかし、塾の数学の宿題なんかは、全く手も足もでない問題でも、最低20〜30分くらいは考えていたと思います。
特に、まだ受験まで時間がある生徒は、自主学習の時間を「考えること」にあてることが大切です。
「いやいや、そうはいっても、全く分からない問題を考えろとか無茶ですよ・・・」というご意見もあるかと思いますが、
私が重視するのは、問題にアプローチする姿勢を養うということです。最初はぼーっと眺めるだけでも良いですし、時間を開けてもう一度見てみるのも良いです。
また、間違っていても良いので、式を変形してみる、図に補助線を書き入れてみるなどなど、できることはたくさんあります。
2.文章を書く力が衰える
宿題を作業にすることで一番恐ろしいことは、「どうせ間違ってるから書かなくてイイや。」というような思考回路になってしまうことです。
つまり、いかに効率的に宿題を終わらせたか(のように見せる)という事に重点が置かれてしまうのです。
この結果、文章を書く力が格段に落ちてしまいます。
せめて、答えを写してでもいいから回答を作成した方が、幾分かマシな状態です。
もう時効だと思うので書いてしまいますが、私の場合は、どうしても分からないところは答えを自分の言葉にすこしずつ言い換えて写していました。
※聞こえはいいかもしれませんが、要は答えを写したことがばれないようにするための防衛策です。先生にはバレバレだったと思いますが。笑
これまで文章を書く癖がついていない生徒に、いきなり「何かしら書け!」というのは、ともすれば文章嫌いを加速する恐れがあります。
まずは答えを写してでも、文章を書くことが大切だと思います。
そうすることで、ある程度回答のパターンを身につけることが出来ますし、慣れてくれば、答えを写すことなく、自分の文章を書くことが出来るようになると思います。
さて、今日は夏休みまっただ中ということで、このような記事を書かせて頂きました。
ご家庭でも今一度、勉強スタイルを見直して頂けると幸いです。
数学の勉強法
本日の話題、教育業界の方々からは「当然じゃん」と言われてしまいそうですが・・・。
体験授業などで併塾にいらっしゃる生徒が、意外と意識していないことがあります。
ちなみに、数学の勉強法というタイトルで書き出したのですが、他の教科でもいえることです。
それは、「覚える」、「理解する」、「考える」の切り分けをするということ。
勉強の効率を考えた場合、この3つの切り分けは、個人によって異なります。
そして、その切り分けを生徒それぞれに見つけ出すのが先生の役割だと思っています。
※もちろん、勉強の効率を考えなければ全員に理解し、考えるところまでを教えるべきだと思いますが。
例えば、私の指導したことのある生徒さんの中に、数学が出来ないので教えてほしいという子がいらっしゃいました。
その子は図形が苦手だというので、図形の証明の単元のテストを行ったのですが・・・
確かに出来ていませんでした。
原因はもの凄く簡単で、図形の証明に必要な、図形の性質を覚えていなかったのです。
お母様はテストの点数だけで数学が出来ないという結論を出しておられましたが、
よくよく見てみると、図形の証明に入るまでのテストの点数はそこまで悪いものではありませんでした。
要するに、覚えるべきものを覚えずに、いきなり点数が下がったので、数学が苦手になったと思われたのでしょう。その生徒も次のテストでは良い点数を取って来たので安心しました。
定義や公理は「覚えるべきもの」なのです。
数学はロジックの学問ですので、定義や公理を覚えていなければ、その先の議論が出来ません。
覚えるか、覚えないかが分かれてくるのは「公式」や「解法」です。
公式は公理から派生したものなので、頑張れば導きだす事が可能です。
解法も発想力のある子であれば程度の差こそあれ、たくさん覚える必要はありません。
私も点数を取らせるために、公式や解法などは、生徒の様子を見ながら覚えるように言う事もあります。
さて、覚えるのは良いのですが、公式や解法が定義や公理と違うところがあります。
それは「理解する」というステップを踏まなければならないということ。
この「理解する」というステップを踏ませるか否かは、その生徒の目標や、レベル、残された時間を考慮して決めます。
例えば、数学的思考が得意ではない子で、受験まで残された時間が少ない、志望校は受かるかどうかのギリギリ・・・という生徒には、この理解するというステップを省略することもあります。
また、数学の成績が低く、数学が嫌いだという生徒にも、しばしばこのステップを省略することがあります。なぜなら、成績が悪い教科が嫌いというのはもっともなことだからです。まずは手っ取り早く成績を上げて、その教科が好きになるようにするわけです。その後じっくりと理解させていくわけです。
話が少しそれましたが、上記のような生徒でなければ、「理解する」というステップを踏ませます。
言わずもがなですが、「知っている(覚えている)」と、「理解している」は全くの別物です。
では、どのようにしてこれを見分けるのか。
それはロジカルシンキングでも用いられる「so what」、「why so」を生徒に問いかけることです。
集団学習でしばしば見受けられることですが、生徒の回答が合っていたので、この子は分かっているんだろう!と思われる先生やご家庭の方は意外と多いです。
が、何でそうなるの?先生に解き方を説明してくれというと、「・・・なんて言ったら良いか分からない」という答えが返って来たりするのです。
この、「だからどうなるの?(so what)」、「なんでそうなるの?(why so)」を繰り返すことが大切です。
私は、理解させるステップを踏ませるために、解法を教えた後に、解説、その後その解法を用いる別の問題を解かせ、解法を人に説明させるという方法を用いています。
人に教えるときに、完全に理解していなければ必ず論理が破綻します。
それを見抜き、教える事が出来るまで繰り返すのです。
最後に「考えること」。
これは「覚えること」、「理解すること」というステップを経て、はじめて実現可能です。また、「考えること」は、最終的に「表現すること」とセットにしなければなりません。
さて、考えるプロセスでは、覚えたこと、理解したことを用いて、全く新しい問題にチャレンジさせます。(授業でやっている範囲の問題なので、全く新しいと言えば語弊があるかもしれませんが。例えば、その子のレベルでは解くことが難しい、応用問題をやらせるくらいのイメージです。)
また、考えることのプロセスでは時間を多めに取ります。授業は時間に限りがあるので、自習の時間や、家庭学習で考えるプロセスを行うように言うことが多いです。
さて、「考える」プロセスなのですが、単に考えるだけではいけません。
大事なのは自分の考えたことを「表現する」こと。
宿題をやってきた生徒が、分からないところを白紙にしていることが良くありますが、それは「考える」というステップを放棄していることと変わりません。何かしらは書くように促しましょう。これは理解するステップでも重要なことなのですが、理解するプロセスと違うところは、問題のレベルです。自身にはハードルが高い問題について、分からないなりに自分のロジックを組み立て、表現することが重要です。
(社会に出た方ならご経験があるでしょうが、答えの定まらないものに自分なりのロジックを構築する能力は非常に重宝します。むしろ勉強ではここを教えたいですね。)
さて、自分なりに表現ができたら、そこからは教師の仕事です。なぜこのような考え方に至ったのか、論理の飛躍はないか。「so what」、「what so」を繰り返すのです。
慣れてくれば、自身でこの問いかけが出来るようになってくるはずです。ただし、慣れるまでは自分のロジックを否定的に見ることは難しいので、大人が補助する必要があります。
さて、ダラダラと書いてしまいましたが、これが私の数学(ひいては他の科目も)の教え方の一部です。
ご参考にして頂けると幸いです。
受験勉強の是非
受験シーズン真っ只中ですね。
大学は後期試験を残すのみ。
高校は私立の受験が終了し、公立高校の受験がそろそろ・・・といったところでしょうか。
さて、本日のテーマは「受験勉強」、「受験戦争」。
みなさま、このキーワードに対してどのように感じるでしょうか。
もちろん、肯定的に捕らえる人もいれば、否定的に捕らえる人もいると思います。
客観的なデータがあるわけではないですが、感覚的に、否定的に捕らえる人のほうが多い気がします。
特に、幼い頃から受験戦争に巻き込むのは・・・と考えている人が多いのではないでしょうか。
これも感覚的になってしまいますが、昔のほうが受験戦争に対して否定的な人が少なかった気がします。
最近では、受験特化の塾がシェアを縮小し、幼児教育などがシェアを拡大している・・・というデータもあります。
この傾向は以下の2点が理由として挙げられるのではないでしょうか。
①21世紀に入り、生き方が多様化した
②社会において、勉強ができる能力よりも、人間性や考える力が重視され始めた
戦後の日本では、どちらかというと軍国主義的な教育がなされてきたといいます。
暗記能力、規則正しさなどに重点が置かれてきたとも言えるかもしれません。
しかし、現在の教育では、上記のような教育が求められてきているのです。
では、いわゆる「お受験」は不要なのでしょうか。
私はそんなことはないと思います。
お受験を経験してきた私の友人達も、受験勉強は決して不要ではなかったと、口をそろえます。
私が考えるに、受験勉強を嫌う人たちは受験勉強について、次のように考えているのではないでしょうか。
「受験勉強は入試に必要な学力を高めるために行うもの」
確かにこれも正解ではあります。しかし、受験勉強をで得られるものは、他にも沢山あるのです。
「お受験」を経験した私が考える、受験勉強によって得られるものの一例を挙げますと、
①基礎学力
②コミュニティ
③目標に向かい努力する経験
基礎学力に付いては言わずもがなでしょう。
私が重要視するのは、②、③です。
子供の頃に学校以外の教育コミュニティに属する事は非常に有意義だと思います。
それは、サッカークラブや習字教室など、他の子供達とふれあうものであれば何でも良いのですが。
これは大人になった時のコミュニケーション能力に大きく影響を及ぼすだけでなく、
自分が活用できる人材のストックを作るという点でも大きな意味を持ちます。
そして、私が最も重要視するのは③です。
テレビ等でよく、はちまきを巻いた子供達が一心不乱に勉強をしているような目にします。第三者からみれば、宗教じみた、否定的な印象を受ける事が多いようですが、経験者本人からすると、結構あれで楽しんでいたりするのです。
※もちろんそれは、教師との信頼関係など、様々な要素が他にもあるのですが、それはまたの機会に書きたいと思います。
ようはスポーツと同じく、青春の1ページなのだと思います。
スポーツに汗を流す姿、努力する姿を否定的に捉える人は少ないと思うのですが、それが受験勉強となると、目の色を変えて否定する人がいらっしゃいます。
教育的な視点でみれば、スポーツも受験勉強も得られるものは根っこの部分では同じなのではないでしょうか。
PISA型教育の実践
久しぶりのブログ更新です。
ここ最近は、教育系NPOの説明会やら、学生との打ち合わせに精を出しておりました。
さて、本日のテーマはPISA型教育です。
教育業界では結構有名なのですが、恥ずかしながら、私は最近知りました。
きっかけは、教育成果の評価手法について話をしていたときです。
戦後の「暗記型」「お受験型」の学習から、21世紀は「多様な価値観、考える力」が求められているとよく言われています。
ただ、これら21世紀型の教育は、その効果を定量的に評価することが難しい・・・というわけです。
そこでその評価として有効なのが、表題となっている「PISA」です。
PISA(生徒の学習到達度調査:Programme for International Assessment)とは、
OECDによる国際的な生徒の学習調達度調査のことです。
こちらのサイトに詳しく書かれていましたので、リンクを貼らせていただきました。
http://www.intweb.co.jp/teian/PISAtoha.htm
また、こちらは文科省のHPです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201.htm
そして、このPISAテストにおいては、(私的な意見ですが)どうも日本は順位を落としているように見えてしまいます。
【参考:学力の国際比較(文部科学省)】
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3940.html
さて、ここまでPISAについてだらだらと書かせていただきましたが、
環境教育や、幼児教育、ビジネス教育、学際教育・・・などなど、
私がこれから行おうとしている教育の課題は、いかに教育効果を「見える化」するか、
ということでした。
まだどのようにこれらの能力を育てていくか、ということについては模索中ではありますが、
とりあえずは、評価指標が見つかったということでブログに残しておこうかと思います。