受験勉強の是非
受験シーズン真っ只中ですね。
大学は後期試験を残すのみ。
高校は私立の受験が終了し、公立高校の受験がそろそろ・・・といったところでしょうか。
さて、本日のテーマは「受験勉強」、「受験戦争」。
みなさま、このキーワードに対してどのように感じるでしょうか。
もちろん、肯定的に捕らえる人もいれば、否定的に捕らえる人もいると思います。
客観的なデータがあるわけではないですが、感覚的に、否定的に捕らえる人のほうが多い気がします。
特に、幼い頃から受験戦争に巻き込むのは・・・と考えている人が多いのではないでしょうか。
これも感覚的になってしまいますが、昔のほうが受験戦争に対して否定的な人が少なかった気がします。
最近では、受験特化の塾がシェアを縮小し、幼児教育などがシェアを拡大している・・・というデータもあります。
この傾向は以下の2点が理由として挙げられるのではないでしょうか。
①21世紀に入り、生き方が多様化した
②社会において、勉強ができる能力よりも、人間性や考える力が重視され始めた
戦後の日本では、どちらかというと軍国主義的な教育がなされてきたといいます。
暗記能力、規則正しさなどに重点が置かれてきたとも言えるかもしれません。
しかし、現在の教育では、上記のような教育が求められてきているのです。
では、いわゆる「お受験」は不要なのでしょうか。
私はそんなことはないと思います。
お受験を経験してきた私の友人達も、受験勉強は決して不要ではなかったと、口をそろえます。
私が考えるに、受験勉強を嫌う人たちは受験勉強について、次のように考えているのではないでしょうか。
「受験勉強は入試に必要な学力を高めるために行うもの」
確かにこれも正解ではあります。しかし、受験勉強をで得られるものは、他にも沢山あるのです。
「お受験」を経験した私が考える、受験勉強によって得られるものの一例を挙げますと、
①基礎学力
②コミュニティ
③目標に向かい努力する経験
基礎学力に付いては言わずもがなでしょう。
私が重要視するのは、②、③です。
子供の頃に学校以外の教育コミュニティに属する事は非常に有意義だと思います。
それは、サッカークラブや習字教室など、他の子供達とふれあうものであれば何でも良いのですが。
これは大人になった時のコミュニケーション能力に大きく影響を及ぼすだけでなく、
自分が活用できる人材のストックを作るという点でも大きな意味を持ちます。
そして、私が最も重要視するのは③です。
テレビ等でよく、はちまきを巻いた子供達が一心不乱に勉強をしているような目にします。第三者からみれば、宗教じみた、否定的な印象を受ける事が多いようですが、経験者本人からすると、結構あれで楽しんでいたりするのです。
※もちろんそれは、教師との信頼関係など、様々な要素が他にもあるのですが、それはまたの機会に書きたいと思います。
ようはスポーツと同じく、青春の1ページなのだと思います。
スポーツに汗を流す姿、努力する姿を否定的に捉える人は少ないと思うのですが、それが受験勉強となると、目の色を変えて否定する人がいらっしゃいます。
教育的な視点でみれば、スポーツも受験勉強も得られるものは根っこの部分では同じなのではないでしょうか。