21世紀型教育のススメ

東京都文京区の学習塾ESCA、大学や専門家と連携したマグネットスクール、教材作成などを手がける会社(エスカルチャー株式会社)の代表取締役のブログです。

棋士:藤井聡太氏のニュース記事から考える一般常識と専門知識の境界線

最近ニュースを賑わせている藤井氏。棋士としての実力はもちろん素晴らしいが、その言動にも注目が集まっている。その中で、彼の語彙力を取り上げた某ニュースがあった。

その記事は、彼のインタビューでの中学生らしからぬ語彙力(「醍醐味」、「僥倖」、「望外」など)を取り上げられており、彼の担任の先生もまた、「僥倖」の意味について調べたなどという内容が書かれていた。

 

この記事に対するリアクションとして、こんなコメントがあった。

「最近の若者は僥倖も知らないのか」

「『忖度』って言葉だけで世間が騒ぐなんてなげかわしい」

「これだからゆとりは」

 

とりあえず福本先生の漫画を読むべき。ということは置いておいて・・・。

 

確かに国語の先生(記事中には担任としか標記がなかった)や新聞記者は言葉の専門家なので、知っていないとおかしいと思うが、これを以って「最近の若い者は忖度や僥倖も知らない」「これだからゆとりは」と一般論で世間を見下すのは些か乱暴な気がする。

 

学ぶことなんて専門分野や時代とともにそのプライオリティが変わっていくもので、「忖度」を知ってる知識人と、VRとARの違いを説明できたり、デジタル機器を使いこなす最近の若い子だったら、後者の方が圧倒的に社会的価値が高いと思う。

 

もちろん両方知ってるのが一番いいんだけど、醍醐味はともかく、忖度なんて使ってる人間、何人いるんだと(知ってはいても、その使用頻度も少ない)。今の子からすれば、忖度、僥倖とチョベリバ(死語)の違いなんてない。

 

70億人もの人がいて、小さな島国のほんの一握りの人間が使ってる言語よりも、今の時代はデジタルリテラシーを一般常識にすべきだと思う。人間の学びの時間や、脳のメモリーが有限である以上、どこまでが一般常識で、どこからが専門知識なのかというのは、今後線引きが変わっていくのではなかろうか。あと、使わないだけで中学生でも醍醐味くらいは知ってると思う。笑

 

誤解が無いよう付け加えておくと、忖度、僥倖なんて知らなくていいじゃんと言ってる訳ではない。「一般常識」をどこまでに設定するかという問題である。昔より今の子は学ぶことが多んだから、もう少し多面的に評価して、見下すのではなく、知らないことはちゃんと教えるというスタンスでいきましょうということ。


脳はコンピュータと違って、使わないものは忘れていくんだから、一度習って忘れたってことはいらないってこと。そもそも習っていないのかもしれない。